JPPのライヴ

 今回、カウスティネンに行ったのも、いつもと同じくJPPのライヴが見たくて。最終日18日の22時30分からという、個人的フィナーレにちょうどいい時間。
 フェスティヴァル会場から離れた、学校の体育館のようなところがライヴ会場。JPPはアコースティックも好きだけど、PAガンガンのライヴもすごくかっこいいので、ここでのライヴは本当に楽しみ。

 一応セットリストを作ってみた。最後の曲、絶対知ってる曲なんだけど、どうしてもタイトルが分からない……。タンゴは初めて聴く曲でした。どちらもタイトルを、MCでArtoが言ってたんだけどねえ。フィンランド語を聞き取るのは、まだ難しい。


Lundgren
Köyrinkulma
Tjöck
Myllypolkka ja Eriks Polkan
(タイトルがわからないタンゴ)
Texas Blues
Antin Mikko
Irish Coffee
Sutela
Laitisen Mankeliska
Karjalan Yleiskatrilli
Bjudan Marsch
(タイトル、のどまで出かかってるのにわからない……!)

 最初に大好きなLundgrenが演奏されたってだけで、かなり心奪われました。テンポよく曲間ほとんどなしで最初から4曲を続けて演奏。次の曲、次の曲となるたびに、だんだん自分の気持ちがハイになってくるのが分かりました。なんというか、気持ちを一気にすくいとられたというか。このライヴまでに感じていたカウスティネンへの思いが爆発した、そんな感じでした。
 JPPを語るなら、まずフィドルが4人で、その掛け合いが絶妙なところかな。Maunoがメンバーたちを引率すれば、それにぴっちりと返す3人。それぞれが好きなことをやっていても、ちゃんと曲の要所要所でビシッとアンサンブルを合わせてくる。このバランスがアンサンブルを気持ちよくさせてるのかも。ベースのAnttiやハーモニウムのTimoはそれらを支える縁の下の力持ち的立場で、結構難しいことをやってるのに、それと気づかれないようなさりげなさが本当に素晴らしい。Väsenもそうなんだけど、こう、なんというか、「一生懸命演奏してます!」っていうのが全然見えない、飄々としたところが好きすぎる。みんな余裕顔なんだもの。ステキ。
 カウスティネンでのJPPのコンサートは毎回1時間くらいなので、2時間近くのちゃんとしたライヴを見てみたい。考えてみれば、カウスティネン以外でのライヴは見たことないんだった。ああ、またJPPのライヴが見たい。また、来年、やっぱり行くかなあ……。

ライヴ中のJPPは、本当にめちゃくちゃかっこいい。演奏の素晴らしさと相まって、惚れぼれする。
Jpp01

これは確か、Karjalan Yleiskatrilliを弾き終わったとき。
Jpp02

Artoはハンサムだと思う。
Jpp03

 終演後にはTimoとArtoを見つけてちょっとお話。
 「すごく眠かったんだけど、ライヴが素晴らしすぎて、ものすごく今興奮してる!」と言ったら、Timoが「僕も!」と言っていたのには、ちょっと笑ってしまいました。今回のライヴは、今までみたJPPのライヴでも一番良かった。本当に本当に大興奮のライヴでした。

 ここの音源の開始01:00:00くらいから聴くと、きっと幸せになれる。「あの興奮よ、もう一度」的な。Irish Coffeeからなんだけど、それだけでも十分。

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メネーコ タマ ブッシ コッコラーン?

 今回の旅について、日記形式にダラダラ書くというやり方を止めました。客観的に見ておもしろくないかな、と思って。
 ということで、印象に残ったことだけをピックアップして書いてみます。そのまず1つめがこのエントリー。

 このエントリーのタイトルは、今回の旅で「使うことになるかも」と思ったフィンランド語。スペルは、Meneekö tämä bussi Kokkolaan? 「このバスはKokkola(コッコラ:地名)へ行きますか?」。ほかにも地名を変えて、Meneekö tämä bussi Kaustiseen? 「このバスはKaustinen(カウスティネン)へ行きますか?」とか、~ Helsingin rautatieasemaan? 「~ヘルシンキ駅へ~」とか。
 なぜそう「使うかも」と思ったのかというと、1) ヘルシンキから乗る列車はコッコラまで直通ではなく、Seinäjoki(セイナヨキ)という地方の駅で下車してコッコラ行きのバスに乗り換える必要があったから、2) 過去の経験から、コッコラ―カウスティネン間では、英語が話せないバスの運転手にしか出会ったことがなかったから。そして『セイナヨキやコッコラでは英語が通じない可能性が高いかもしれない』→『フィン語を使うことになるかも』という結論に達したのでした。ヘルシンキ市内ではほとんど英語が通じるので心配してなかったけど、やっぱり地方へ行くとちょっと心配がありまして。しかもセイナヨキなんて、列車で通過したことしかないところだったし。

 でも、結局使いませんでした(ちょっぴり残念)。

 まずセイナヨキでの乗り換えについては、ヘルシンキから出発した列車がセイナヨキに到着する直前、車内ではフィン語でバスの乗り換えに関するアナウンスがあり、なんとなく「1番乗り場」という言葉が聞き取れたのと、念のためにセイナヨキの駅員さんに英語でコッコラ行きのバス乗り場を聞き確認をしたからでした。それでもせっかく覚えたのだから、と乗り場でバスの運転手さんに声をかけようとしたら、向こうから"Kokkola??"といわれてしまい、つい"Yes"と……(やっぱりとっさには、大して話せるわけでもないのに、英語が口をついて出てしまうんですよ)。

 いやいやここでは使えなかったけどカウスティネン行きのバスで使ってみよう、とコッコラ行きのバスに乗り込んだのに、結果としては、先に書いたように使うことはありませんでした。
 無事コッコラに到着してバス乗り場に行ってみたら、もうバスが停まっててもいい時間なのにまだいない。「もしかして、調べていった時刻表、違ってたか?」と不安になるには十分すぎるほど、周りにはほとんど人がいない。自分の半径15m以内には、セイナヨキからコッコラまでバスが一緒だったフィンランド人老夫婦、ずっと携帯電話で話をしてるギャル、いかつそうな男子、オタクっぽい男子だけがいました。バス停で待とうにも日差しが強すぎて、できれば日陰にいたい(日よけなんてステキなものはありません。広場のど真ん中にここがバス停であることを示すサインがあるだけ、という感じをご想像ください)。
 この5人のうち、頼りになるのは老夫婦のみ。なぜなら、彼らはバスの中でわたしが座っていたシートの、通路を挟んで反対側に座っていて、道中カウスティネンのフェスティヴァル・プログラムを見ていたので、きっと行くに違いない!と思っていたから。その老夫婦を、とにかく怪しまれない程度に視界からはずさないようにしていたのです。そのとき、ご主人が動いた! 奥さんをその場で待たせ、ちょっとはずれたところに停まっていたバスに向かって行きました。そして運転手らしき人と何か話をしている。わたしはじーっとその動向を見守っていました。やがて奥さんを呼ぶと、2人でそのバスに乗ってしまいました。「な、なんだってー!」 軽くパニック。もしかしたらあの2人の行き先はカウスティネンじゃなかったの!?と思っていたら、バスに乗ったはずのご主人がバスを降りて、足が悪かったのか、ゆっくりとした歩調でわたしの方へ向かって歩いてくるのが見えました。誰か知り合いでもいるの?と思わずキョロキョロしてしまうわたし。そうしたら「このバス、カウスティネンに行きますよ」と片言の英語で教えてくれたではないですか。その親切に感激、感謝しました(そのバスには、わたしとそこにいた5人はすべて乗り込み、出発5分前くらいにちゃんとバス停にも移動して停車、その後数人を乗せて出発したのでした)。
 カウスティネンからの帰りは、コッコラ行きだとはっきり分かるバスに乗ったため使う必要なし(コッコラへ向かう人がたくさん乗るし)。コッコラからヘルシンキまではバスを使わずにすむ列車のチケットが取れていたので、ここでも使う必要なし。ヘルシンキ市内で使ったバスも、ヘルシンキ駅―ヴァンター空港と車体に書かれているローカルバスだったので、もちろん行き先が分かるからここでも必要なし。

 ということで、「メネーコ タマ ブッシ コッコラーン?」をはじめとするバスの行き先を尋ねる疑問文は、使うことなく帰国したのでした。

 それにしても、コッコラでのこの親切は本当にうれしかったなあ。いったいどうしてわたしがカウスティネンに行くということが分かったのか不思議だったけど、きっと観光客が行くなら、と推測してくれたのかも。国内外問わず、こういう親切にであうと本当に忘れられない良い思い出になります。

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